人の能力
そもそも人の能力には、顕在能力と潜在能力があり、われわれが彼、彼女は優秀だ、とか能力があるとかないとか言っているのは、その人の顕在能力を見て判断しています。
しかし、人の能力全体からいうと、この顕在能力はわずか3~5%くらいしか発揮されておらず、残りの約95%は潜在能力として表に現れておらず、眠ったままだと言われています。(図‐1)この眠ったままの潜在能力が、顕在能力として表出されるためには、潜在能力の顕在化を阻む要因を取り除く事が必要となり、この顕在能力の現れ方やその質と量は、阻害要因の質と量に大きく関係し、その人の能力を形成することになります。問題は、この表に出ていない潜在能力をいかに表に引き出すかどうかが、その人の能力の開発・伸長ということになります。企業競争は人材競争というのはこのことを言うのであります。一人ひとりの能力の向上が、組織の活性化につながり、それが業務プロセスの改善、製品やサービスの開発・向上をもたらし、それが顧客満足の向上になり、売上・利益向上に結びつくこととなります。
また、人の能力は、図‐2のような構造をしており、われわれが一般に才能と呼んでいる部分だけでなく、意欲(人間性、性格)が能力の発揮という面で大きな影響を持っています。
才能は知能と技能に分けられ、知能はさらに創意工夫力・創造力と理解・判断力、記憶力に分けられます。戦後の教育が、知能のうちの後者の「覚える学習」(暗記=受験勉強)に偏りすぎ、学校成績優秀者、偏差値が高く、優秀大学に入学、卒業者をもって能力が高い、優秀者と評価されました。
技能も、物の処理力と人の処理力に分かれます。物の処理力は器用、不器用で表され、道具の使い物を作るとか、いろいろな作業をするといったいわゆる運動能力に関係します。人の処理力は、人付き合い、人扱いの上手下手で表され人間関係能力を示します。今日の現代社会は、少子化、核家族化が進み、人間関係の訓練が質量ともに非常に少なく、人間として基本である人間関係を築く機会も少ないため、コミュニケーション能力も育たず、「自分の人生は、自分のもの、どう生きようと自分の勝手」という自己中心の言動が、親子の関係をはじめ、家庭、学校や職場等々社会全体に蔓延し、いろいろな歪みを生み出しています。笠井よしつぐ氏はこれを「関係不全症候群」と呼んでいます。
意欲(人間性、性格)は、態度と強度に分けられます。態度は、心の姿勢であり、責任感、協調性、遵法性、使命感、愛情、考え方、等で表現されます。
強度は、心の馬力、心のエネルギーであり、熱意、勤勉さ、根性です。根性はやる気・本気・負けん気をさします。
ここで重要なのは、前述したように、意慾(人間性、性格)です。才能も重要ですが、意欲(人間性、性格)の方がより重要なのです。何となれば、才能は、必ず意欲(人間性、性格)というレンズを通してしか発揮できないからです。どれほど素晴らしい知能、才能があったとしても、やる気、意欲がなければ才能は発揮されないままであり、実績には結び付きません。また、熱意や情熱があったとしても、正しいものの見方や考え方ができなければ、周りに多大な迷惑や損害を与えることになります。かつて社会を震撼とさせた、オーム真理教は、その最たるものと言えます。彼らはそれこそ日本の医学界や物理学界を背負って立つようなIQの高い人たちの集まりでしたが、考え方、方向性が間違っていたため、彼らの行為は、意欲が強かった分、社会に大きな不安、損害を与えたことはまだ記憶に新しいところではないでしょうか。
京セラの稲盛和夫会長は、人生の実績は能力×意欲×考え方で決まる、とおっしゃっています。また、土屋ホームの土屋公三社長は、能力×(意欲)2×考え方で決まる、と言われ、「能力(才能)は意欲でカバーできる」と意欲を特に強調されていらっしゃいます。
以上のように、真の能力開発、人材育成とは、単に知識や技能といった才能面(IQ:知)だけでなく、社会の一員としての態度、すなわち心の姿勢(EQ:情)や熱意、根性といった強度、すなわち意欲(人間性、性格)面(WQ:意)を含めたトータルな総合的な人間力(HQ:個性)の養成ということになるのではないでしょうか。
(1) 人の能力 (2) 個性の構造 へ進む →