(3)複雑微妙、様々な欲求を持つ存在である
現実の生きた人間は、複雑微妙である。理性的であり、合理的であり、利己的、経済的であるといった制度的人間面とその一方で、感情的であり、非合理的であり、利他的、非経済的でもあるといった自然的人間面を併せ持っている。また、善なる面、悪なる面も持ち合わせている。
生きた人間は、P.F.ドラッカーが言ったように、それぞれが単独で職場に入るのではなく、the whole man
としての全人が、職場に入って仕事をする。制度的人間だけが職場に入るのではないのだ。(Man can not hire a hand, because the whole man slways comes with it)
したがって、組織や規則、分掌規定をもって制度的人間面をいかに縛っても、感情的、非合理的、主体的な自然的人間は、これに苦しみ、反発することになる。全人としての生きた人間として接することが大切である。
複雑微妙な人間は、様々な欲求、欲望を持つ存在である。人間は、生まれてから死ぬまで数多くの欲求・欲望を中心に活動している。働く人も同様で、大小、軽重、高低様々な欲求・欲望を持っている。
数限りなくあるこれらの欲求・欲望を集約すると、次の二つになると考える。
(ⅰ)自分の仕事に全力投球したい(成長欲求)
(ⅱ)自分の業績や能力に正しく応ずる物質的、精神的な報酬を得たい(欠乏欲求)
これをA.Hマズローの欲求5段階説に当てはめると、筆者の物質的報酬は、マズローの生理的欲求と安全的欲求に当たり、精神的報酬は、社会的欲求と自我的欲求に当たり、仕事に全力投球するは、自己実現的欲求、すなわち自由、自主、創意、本領発揮に当たる。
(4)役割を持つ存在である
人間は必ず役割を持っており、人生はその役割の連続である、ということはすでに述べたところである。
家庭にあっては、夫婦、親子、兄弟姉妹、祖父母、孫、親族等
職場にあっては、経営者、管理監督者、従業員等
社会にあっては、友人、先輩後輩、同窓生、同郷者、クラブのメンバー等
がある。
また、人間は無限の時間と無限の空間の交差点に立っていることは前述のとおりであるが、国際基督教大学石川光男教授はそこから「時間的役割認識と空間的役割認識」が生まれてくる、とおっしゃっている。「時間的役割認識」とは、過去と未来に対してどのような役割を果たすかということを意味し、自分が生きている人生時間だけに注目するのではなく、自分の死後に何を残すかという立場で、少なくとも百年を単位とした時間的スケールの拡大が要求され、「空間的役割認識」とは、自然・社会・文化という三つの環境のために個人や組織がどのような役割を果たすかということを意味し、友人や家族といった小さなスケールから、地球規模の自然や人類を考えるという大きなスケールにまで視野を拡大する必要がある、と指摘していらっしゃる。(石川光男著「自然に学ぶ共創思想」)
人間の生きがいや幸福は、この役割の遂行と重大なかかわりがあることに注目すべきである。何となれば、それぞれの役割をしっかり果たさなければ、周囲の関係者等から信頼を得ることができず、生きがいを感じたり、幸福になることは難しいと言わなければならないからである。