PIにおける人間観

 前稿では、PIの基本的考え方について述べた。今稿では、PIの拠って立つべき人間観について述べることにする。

 人間観とは、「人間はいかなる存在か」「人間の存在をどのように解釈するのか」ということである。従来から様々な人間観がある。自然人、理性人、工作人、経済人、社会的動物等々、また、性善説・性悪説、X理論・Y理論等、その時代その時代、立場立場でいろいろな人間観が主張されてきたが、ここではかかる一面的な見方や二項対立的な見方ではなく、多面的で複雑に絡み合った存在とみる。

 (1)自然の一部である ― 生かされて生きている存在

 (2)小宇宙的存在である

 (3)複雑微妙、様々な欲求を持った存在である

 (4)役割を持つ存在である

 (5)目的志向的存在である

 (6)最も貴重な存在である 

 

(1)自然の一部である ― 生かされて生きている存在

 

 人間も自然を構成する下部構造としてのホロンとみる。ホロンとしての人間は、自然(宇宙)において生かされている存在であり、地球、自然、社会という全体システムの秩序維持に寄与すべき存在である。「私」を超える「大いなるいのち」(筑波大学村上和雄名誉教授の言う「サムシング・グレート」)が、ある時は「人間」「私」として、ある時は人間以外の「動物」や「植物」のいちとしてあらわしたところの、生かされて生きている存在である。

 

 ホロンとしての自律性を持っているが、それは同時に社会、自然、文化という地球的生命の進化・秩序維持に奉仕すべき存在だということである。自然と人間とを対立的にとらえて自然を支配、征服の対象ととらえるべきではない。自分というのは、自然の部分であるといわれるのはその意味であろう。

 

(2)小宇宙的存在である

 

 無限の時間(宙)と無限の空間(宇)の交差点に、現在の自分が立っている。生きた人間はそれ自身完結せる原点としての個人であると同時に、人格主体の集合体である集団のメンバーという二つの側面を持っている。この二つの側面は切り離すことはできない。

 無限の時間は歴史的である。過去から未来へのいのちのつながりを示す。自分のいのちの拠って立つところである。現在の自分が生きているということは、先祖の誰一人欠けてはならないということを意味する。多くの人は生きていることが当たり前と思っているが、本当は非常に不思議なことであり、驚くべきことなのである。普通であれば有り得ない,有ることそのものが難しい、有難い存在なのである。一説によると人間として生まれてくる確率は約250兆分の1で、これは宝くじの1等が連続で100万回当たることに相当するとのことである。

 

 この有難い存在ということから、有難いという感謝の気持ち、感恩感謝の気持ちがわき出てくるのである。恩というのは因(もと)の心と書き、自分が現在生かされていることに対する因(もと)の心、いのちのつながりに感謝するということである。

 無限の空間は、外延的である。横の空間的広がりであり、社会を表している。その社会に対して、感謝の気持ちを具体的に行動で表現することである。

 ここから万物相互依存(one in all,all in one)の認識と万物相互奉仕(one for all,all for one)の実践の必要性が出てくるのである。すなわち、自分の役割を、使命をしっかりと果たすことを意味する。